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パネル2

100年前のベートーヴェン

 

コーディネーター
沼口 隆(東日本支部)

 

パネリスト
齋藤 桂(西日本支部)
白井史人(東日本支部)
沼口 隆(東日本支部)
安川智子(東日本支部)

 

 ベートーヴェンにとって2020年は生誕250周年、2027年は没後200周年となる。では、同じように記念年が続いた100年前、彼にはどのような眼差しが向けられていたのか。これは、ベートーヴェンというプリズムを通し、我々が100年前に西洋藝術音楽とどう対峙していたかを批判的に顧みる試みである。

 まず沼口が、当時の一般的な研究の動向に目を向ける。1920年代には、スケッチや自筆譜を通じた実証的研究への意識が高まる一方、すでにカルトに対する批判的な視座も明示されていた。現代にも通ずるような視点を紹介する。

 ベートーヴェン崇拝が、ドイツ語圏に限られるものでは全くなかったことを象徴する存在の一人がロマン・ロランであろう。彼は、ヴァンサン・ダンディなどと並び、日本におけるベートーヴェン像の形成に看過できない影響力を及ぼした。安川の発表においては、フランスにおけるベートーヴェン事業、日仏交流、また両国における音楽学の萌芽とその相関関係といった側面に新たな光が当てられる。

 中里介山の未完の大作『大菩薩峠』(1913-41)は、仇討ものの時代小説・剣豪小説として始まったものの、次第に時代設定が曖昧となり、作者のユートピア思想を強く反映するようになった。第32巻『勿来の巻』(1931)には、登場人物の茂太郎がベートーヴェンの交響曲第3番への愛着を吐露する場面がある。その意味するところは何か。齋藤の発表においては、トルストイの思想も勘案しつつ、当時の日本におけるベートーヴェン理解に迫る。

 白井の発表では、1920-30年代にかけてのベートーヴェン像の形成および変容のプロセスにおいて、映画という新興メディアがいかなる役割を果たしたのかを問う。無声映画期には、音楽が断片化されて映画に切り貼りされ、ベートーヴェン作品も例外ではなかった。この断片化と神話化が同時並行するプロセスが解明される。

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