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J-2 上尾信也(東日本支部)

『カンティガス・デ・サンタマリア』挿図の楽器と衣装
──地中海世界の文化の混淆・継承・伝播──

 

『カンティガス・デ・サンタマリア』は、レオンとカスティーリャ両王アルフォンソ10世(1221-1284)の命により1250年から80年にかけて蒐集、編纂、制作された。王は幅広く学問の援護者として、またイスラムやユダヤ教徒を登用することによって賢王(El Sabio)と呼ばれ、数多くの古典や技術科学書のアラビア語からの翻訳事業の要となり、同時期の皇帝フリードリヒ2世と共に地中海世界の知の中心人物であった。カンティガスの大部分は聖母への祈りによってもたらされる奇跡を歌った「奇譚歌 cantiga de miragres」であり、10曲ごとに聖母マリアへの「頌歌 cantiga de loor」(全40曲)が挿入されている

 本発表では、この頌歌(10,20,30.....400番)に添えられた挿図(『Códice j.b.2』写本を基に)に描かれた種々の楽器と楽師から、地中海世界の文化の混淆・継承・伝播の一端を考察する。特に衣装による楽師の写実的な描き分けは、先立つ、カロリングルネサンスの旧約聖書の詩篇挿図に描かれた想像の産物としての楽器・楽師像から、10世紀のベアトゥス写本の黙示録でのより写実的な描写に、そして「栄光の門」の長老たちの実物を模したと確信できる楽器の「継承」モデルを補完するものである。それまでの主題はキリスト教の登場人物いわば架空の人物に現実の楽器を持たせていたのに対し、カンティガスの楽師たちは俗世の現実の人物が実際の楽器をもっている。挿図に描かれた聖俗宗教を問わない楽師たちはキリスト教国内での奴隷や捕虜として混淆している状況の描写に見えるが、宗教を越えた奴隷や不自由民、自由民、さらに定住と非定住、移動者への差異の曖昧さと受容の寛容さの風土が背景にあった。その民の中に楽師がいた。カンティガスは貧富貴賎に宗教に平等なマリア信仰と聖母への祈りの形をとった楽師の「存在証明」でもあろう。

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