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B-2 越懸澤麻衣(東日本支部)

ベートーヴェンのポロネーズと「ウィーンの伝統」

 ポロネーズは、よく知られているように、ポーランド起源の民族舞踊である。しかしドイツ語圏でも、たとえば19世紀初頭のウィーンでも、ポロネーズはメヌエットやワルツなどと並んで華やかな舞踏会のレパートリーの一つであった。こうしたこの時代の舞曲について、そしてその舞曲リズムを用いた(踊るためではない)作品について、近年いくらか研究されるようになってきたが、いまだ十分に解明されているとは言いがたい。それは、膨大な先行研究があるかに思えるベートーヴェンについても同様である。

 本発表では、ベートーヴェンがポロネーズというジャンルをどう捉えていたのかを問うべく、彼のポロネーズに関連する4作品、すなわち《ポロネーズ》Op. 89(1814)、《軍楽のためのポロネーズ》WoO 21(1810)、《三重協奏曲》Op. 56(1804)の第3楽章「ロンド・アッラ・ポラッカ」、《ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのためのセレナーデ》Op. 8(1797)の第5楽章「アレグレット・アッラ・ポラッカ」を取り上げる。単独のポロネーズと多楽章作品のなかの「ポロネーズ風」楽章を1つのジャンルとして扱った先行研究はないが、これらを「ポロネーズ」という1つのジャンルとして考えることは必要であろう。

 ポーランド、ウィーン、およびロシア(Op. 89はウィーン会議のために当地を訪れていたロシア皇后に献呈された)で出版された同時代のポロネーズと比較すると、ベートーヴェンの作品がこの舞曲の典型的なリズムの使用も含め、ポロネーズの「ウィーンの伝統」と関わりが深いこと、しかし同時に独自のジャンル感も示していることが明らかとなる。そしてとりわけOp. 89はショパンの作品に代表されるような、ポーランドにおける「英雄的な」ポロネーズの先触れとなっており、ジャンル史の観点からも興味深い。

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