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A-4 李 雅心(西日本支部)

日本による再占領期中の青島における音楽活動(1938年−1945年)

 本発表は第二次世界大戦時、日本による再占領期(1938年−1945年)中の中国青島での音楽活動の諸相と特徴について考察した。青島では、日本植民地及び返還期を経た後も、依然としてドイツ植民地時に導入されたクラシック音楽が盛んであった。また、青島の音楽文化には西洋音楽、日本音楽及び伝統音楽が共存する特徴がある。更に、1937年に日本が再び青島を占領した後、台湾で実施していた「皇民化教育」と似た文化浸透政策を取ったことは、青島の音楽活動の各々の面ではっきりと現れていた。

日本による再占領期中の青島の音楽活動に対する先行研究は断片的且つ簡単な紹介に止まり、専門的に論じた論文又は著書はまだ見当たらない。

 そのため、本発表では、日中両国で調査した一次史料に基づいて、主に以下の三つの面から当時青島の音楽活動の状況について考察し、植民地時期が与えた影響を分析した。

 

 ①日本人主導の音楽活動。藤原義江を代表とする日本の音楽家が複数回青島を訪問して地元での公演及び青島駐在の日本軍楽隊による公演などを含む。

 ②青島の市民音楽活動。学校音楽活動及び地元楽団による音楽活動を含む。

 ③青島在住の外国人による音楽活動。

 上記三つの面から調査した史料を分析した結果、以下のことが分かった。

 

 ①日本による再占領期中の青島では、伝統音楽とドイツの影響を受けて導入されたクラシック音楽は引き続き人々の生活中に存在していた。但し、一部の音楽及び音楽活動はプロパガンダの手段になっていた。

 ②戦時にもかかわらず、青島の音楽活動は中断されず、各々の面で活発に行われていた。

 ③日本人音楽家による公演は地元の音楽活動に異文化の要素を加えた。

当時の音楽活動は多文化の影響を受けた独特な特徴、様相を持ち、発展的な方向を示していた。

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