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J-4 加納遥香(東日本支部)

社会主義ベトナムの文化政策におけるオペラ受容(1954-1965年)

 1954年の南北分断後の北部ベトナムを領土として成立した社会主義体制を採用するベトナム民主共和国(以下、北ベトナム)では、共産主義者による一党独裁体制が築かれ、文化芸術を重視する党の方針のもとでヨーロッパ発祥の芸術形式であるオペラが受容された。文化省はベトナム人によるソ連(ロシア)と北朝鮮のオペラ作品の上演を実施し、それと並行してオペラ上演団体の整備を進め、1964年にベトナム交響・合唱・音楽舞踊劇場を設立した。1965年にはベトナム人作曲家による、オペラ形式に基づき創作した初めての作品とされる《コー・サオ》が完成し、同劇場が首都ハノイで初演した。

 このようにオペラ受容をめぐる一連の事業は党・政府の文化政策のもとで遂行されてきたが、ベトナム国内のオペラ研究は楽曲分析や形式的特徴の整理などが中心で、オペラ受容の過程は音楽の「発展」の歴史として概観が記述されるにとどまっている。この時期の北ベトナムの音楽に関する文化政策については、民謡や伝統音楽、歌曲などのジャンルを対象とする国外からの研究が進む一方、オペラはあまり注目されてこなかった。

 本発表では北ベトナムのオペラ受容を文化政策の視点から読み解いていく。1954年から1965年までを対象とし、政府文書や新聞、雑誌記事などの一次資料を中心に用いて文化政策におけるオペラに対する認識、位置づけと制作や作品創作をめぐるオペラ事業の実態を詳細に捉える。ここから、党・政府やそれに近い立場にある音楽家らが社会主義諸国の協力を活用しながら国内の人材を動員して育成し、自立したオペラ制作・創作の体制を構築していったこと、オペラ受容を党の掲げる「民族文化の建設」という枠組みに位置づけて意義を見いだし、自国の作品の創出に取り組んだことを示す。以上を通して、国内外の状況と結びつきながら、オペラという芸術が北ベトナムの国家建設のプロセスにおいて政治的に機能していく様相を照らしだす。

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