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セッションL

L-1 仲辻真帆(東日本支部)

柴田南雄の民謡観

──《追分節考》および『俗楽旋律考』の再考──

 

 混声合唱と尺八独奏で編成された《追分節考》(1973)は、柴田南雄(1916-1996)の代表作品の一つである。指揮者が団扇を用いて提示する記号・数字により演奏者が発声や移動を展開するため、即興性、不確定性が強い。舞台だけでなく通路や客席を含む劇場全体が演奏空間となるシアター・ピースで、柴田の日本民謡の研究成果が反映されている。作品中、《信濃追分》《上州馬子唄》《雲助唄》等の民謡が多用されており、その民謡を批判した上原六四郎(1848-1913)の著書『俗楽旋律考』(1927)のテクストも朗読される。上原は音響学を専門とし、音楽取調掛・東京音楽学校で教員を務めた。『俗楽旋律考』は日本音楽史上で重要な文献であるが、民謡を「野卑なり」と断じた上原を、柴田は「明治時代の官学の洋楽一辺倒アカデミズム」「誤った日本民謡観」という観点から捉えている。

 本発表では、①上原六四郎の活動と『俗楽旋律考』の再考、②《追分節考》における『俗楽旋律考』の用いられ方とその意義の検討、③《追分節考》で用いられる民謡と作曲者の意図との関連付けをおこなう。本研究では《追分節考》の手稿資料調査や関係者への聴き取り調査も予定している。

 本発表により、柴田の民謡観や日本の伝統音楽への創作態度の一端が明らかになる。柴田の作品研究は多数あり、《追分節考》に言及した論考も見受けられるが(永原 1990/2012, 玉城 2011, 村田 1999等)、本研究では柴田が提唱した構造模式図(骸骨図)等も視野に入れ、先行研究とは異なる点から柴田の民謡に対する視座を検討する。さらに《追分節考》の参考資料である『日本民謡大観』(関東篇 1944年、中部篇 1955年)の成立背景や近代の日本人作曲家たちの民謡への関心に論及することで、当時の文化状況やその民族性および伝統音楽へのアプローチという論点からも考察を深めることができる。

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