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A-1 釘宮貴子(東日本支部)

F・ワインガルトナーの音楽作品における日本と西洋の融合
──オペラ《村の学校》Op.64(1919)──

 ワインガルトナーは、作曲をライネッケとリストに学び、その後指揮者に転じて1908年にウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。彼は指揮者として中心的役割を果たす一方、作曲家としても活動し、交響曲、オペラなど93作品を残しているが、その中に日本に関連する作品が4つ含まれることはあまり知られていない。これまでにその最初の作品である《日本の歌》Op.45(1908)について研究を行い、彼が独自の音階を用いて日本詩歌の世界を表現していることを解明した。本研究では日本に関連する2番目の作品であるオペラ《村の学校》Op.64(1919)を取り上げ、ドイツ・オーストリア音楽におけるジャポニスムの一例としてその特徴を明らかにする。

 オペラ《村の学校》は、歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の4段目「寺子屋」を題材にとった、主君への忠義のため我が子を犠牲に差し出す物語である。ワインガルトナーは、K・フローレンツの歌舞伎底本の翻訳『寺子屋と朝顔』(1900)を土台に、自ら台本を手掛け、作曲を行っている。ワインガルトナーの台本とフローレンツの翻訳の比較研究により、ワインガルトナーは日本人の「主君への忠義心」と西洋の「騎士の義務の精神」に共通性を見出していることが明らかとなった。オペラ《村の学校》では、登場人物の心理がレチタティーヴォ的に歌い継がれ、緊迫したドラマが構築されている。音楽的特徴として、キリスト教的な救済の場面での明快な調性によるロマン派音楽的手法の使用と、儒教的な武士の覚悟が表現される場面での4度と5度の平行和音による東洋的なモティーフの使用が挙げられる。オペラ《村の学校》は、日本と西洋の精神的融合と音楽的融合を実現した意欲作として、音楽におけるジャポニスム研究に、「日本人の精神への共感による作品」という新たなカテゴリーを加えるものである。

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